Kana's notes

留学のこと、日々のこと、旅のこと、なんかふと思ったこととかをたまに書きたい。

キラキラな留学生活?

 

大学交換留学の1年を振り返って。

 

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これはあくまで私の経験からのお話。そして私の考え。数ある中のひとつのお話として聞いてくれると嬉しいです。

 

まず、一般的に留学行ってた人はよく聞かれるだろうなということ。
「留学どうだった?1年も行ってたら〇〇語ペラペラなんじゃない?」

 

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留学イコール語学習得。というイメージはもちろんあると思います。

そしてみんなの気になるところではあると思います。

でも、ちょっと言いたいのは、人によって留学する目的はそれぞれ違っているっていうこと。


私も1番の留学の目的は言語習得ではありません。私がずっと留学をしたいと考えていたのは他の国で大学生として生活すること、勉強をすること、をすること、人と出会うこと、そこからの学びは自分にとってとてつもなく大きいものになるだろうと絶対的な確信があったから。

 

私の場合はアメリカ交換留学なのでそれについてしか話せませんが、そして先に言ったようにあくまでこれは私の考えですが、

 

アメリカ交換留学は、
キラキラしたかっこいい日々とは限らない。
英語ペラペラになるとは限らない。
必ずしも友達いっぱいできるとも限らない。

 

留学している友達のfacebookを見ると、いつも友達と楽しそうにしている様子が見られるかもしれない。毎日が輝かしく見えるかもしれない。

まあ、写真を友達と撮る時って、楽しいから撮るってことが多いからそう見えるんだよね。留学生活に限らず普段の生活での投稿もそうだけど。

 

そして言語について。もちろんその言語に触れる機会は多いし使う機会も多い。そしてその言語を使って人とコミュニケーションをとることに慣れてくる。怖さがなくなってくる。まあ正直これがいちばん大きいのかな。そこからプラスアルファで何か身につけたいと思えば本当に自分次第なのかなって。

交換留学は将来ビジネスで英語を使うために学びたい人向けのものというわけではなくて。(そういうコースがあれば別かもしれないけど) 大学で自分がとる授業(私は教育、コミュニケーション、メディア、ソーシャルワークなどの授業をとっていました)、周りの自分と同じような大学生、先生っていうのがメインの英語に触れる機会と存在なわけで、それはオフィスの同僚でもなく、取引先の相手でもない。
日常の中で外国語を流暢に話しているのを聞くとどんな場面でも対応できると思ってしまいがちだけど、それはまったく違うと思う。

 

私がこの1年何度も思い出していた言葉。
英語を話せるその人が何を話すかが問題。
私の大好きな大好きな本、人に出会う旅をしたいと思うようになった本、
『「また、必ず会おう」と誰もが言った。』の中で出てくるアメリカに6年留学していた女性が言っていた。

 

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英語を話せるというのは特技でも何でもない。でも、たとえ片言でも、その人しか持っていないことがある人は、どんな世界だって生きていける。逆にどんなに流暢に英語を話すことができても、その人の中身が空っぽじゃあ意味がない

 

自分の英語の能力なんて自信を得たり失ったりの繰り返しで、満足するようになんてそう簡単にはならないと思う。私の場合。
でも、この1年で
文化の話、教育の話、歴史の話、宗教の話、政治の話、人生の話をいろんな人として、
その人の考えを聞いて、自分の考えも伝えて、話し合って、さまざまな考え、価値観を得た。英語がその出会い、その時間、その学びの手助けをしてくれた。
自分の中身を表す、ひとつの道具となった。
そして、自分の中身をより豊かにする助けともなった。

 

友達がいっぱいとは限らないと言ったけど、それはなんでかって言うと、
まあ最初の頃特に、日本にいるときに比べて、

誰かと近い存在になることに難しさを感じていたから。
言語が問題なのかと思っていたけど、それは違っていたと思う。文化が違っていた。コミュニケーションの取り方も距離も違う。
自分の個性、強み、ありのままを出せないとかなり悩んで、それが自分にとってとてもつらかったけど、それも言語だけが問題じゃなかった。環境が違っているから。


でもそれは私が日本にいたときも同じだったと思う。みんなそれぞれ自分の本質を最大限に表現できる場とそうじゃない場があるんだと思う。それは当たり前のこと。

私はアメリカの大学にいる自分も自分の1つになっていって、それに違和感を感じなくなったから、もう自分のアイデンティティのギャップについて悩むことはなくなった。そこで出会った友達たちも、私がどういう人か知っていると思う。それは多分私が中身を表したい、知ってもらいたいと思っていたから。
そしていろいろと普段やらかすことに関しては隠しようがなかった。

すぐばれた(笑)
まあ、それも自分。

 

人それぞれいろんなストーリーを持ってると思う。同じ交換留学だってみんな違う。同じ大学にいたって違う。そういうその人しか持っていないストーリーを聞くのって本当に面白い。なにか大変だった時期、できごとがあったかもしれない。それもぜんぶぜんぶひっくるめての留学生活で、いつもきらきらしているわけじゃない。でも人生のなかできっとそんな時間すべてがきらっと輝くんじゃないかと思う。

 

 

もし留学に行ったことのある人、海外生活をしたことのある人に出会ったら、
言語についてだけじゃなくて、
その経験の中身を聞くと、
予想以上の面白い波乱万丈話を聞けるかもしれないです。
そんな日々を恋しく思っている人も多いかもしれないから、喜んで話してくれる人も多いんじゃないかと思います。


ちなみに私はいつでも喜んで話します(笑)


帰国がもうすぐそこに迫ってきている中で、
こんなことを考えていました。

 

バイアス(先入観、偏見)と幸せ。

 

森の中で生活しており,

1797年頃に南フランスで見つかったVictorという男の子のお話、知ってますか?

 

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Victorは見つかったとき12歳頃だったとされていて、

叫び声はあげても言葉を発することはなく、

その後5、6年にわたって教育を受けるも

一生基本的な言語や一般的な社会性を獲得することはなかった。

言語学でもよく登場するVictor。

今私がとっているソーシャルワークのクラスの使っている教科書でもVictorの例が最初にとりあげられていたんだけど、そこでの観点は、

野生で生きていたVictorを彼の意志とは関係なく森から人間社会に連れてきたことは道徳的に正しいことなのだろうか、ということ。

 

 

私の一つ目のブログの投稿で、 あらゆる多様性について考える、知るきっかけ、 もしくは身近に感じる機会などをつくりたいというようなことを書いた。

その後に友達から個人メッセージでもらったコメント。

 

バイアス(先入観、偏見)をなくした状態で生きることが

その人にとって本当に幸せだとどうやってわかるのか。

 

 

たとえば、ある特定の身近にいる人びとの人種や宗教グループに偏見を持っていたとする。

そのグループとの間で何か摩擦などが起こったとしても、 本人にとっては自分たちのグループ、 もしくは自分のアイデンティティが守られていれば、 その状態でずっと生きていることがその人にとっての幸せなのかもしれない。

特定のグループを理解しようとし、接近し、偏見などがなくなったとして、

その後自分の属しているグループとそのグループの関係性に頭を悩ませるよりも、

まったく知らずにその対象と自分との間にすぱっと線を引いていたときの方が 幸せだったかもしれない。

 

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Victorについて教科書で読み、考えたとき、 友達から私のブログに対して投げかけられたこの質問を思い出した。

 

私はVictorについて、 彼が森で自由に暮らしていたときの方が幸せだったのではないか。

他の人間が勝手に連れ出し、いわゆる “人間らしさ”を持たせるような 教育を強制的に受けさせる、そんな権利が果たして他の人間にあるのだろうか。そう思った。

 

 

それは、その人がまったく知らなかった世界他者意図的に見せるということ。

しかし、それは私がしたいと思っていることと何ら変わりないのではないか、と思った。

洗脳がしたいのではない。 見たことのない、考えたことのないことに少しでも触れられるきっかけをつくれないか、そう考えていたが、

それが良いと思うのはあくまで“私”の考えである。

 

その話をソーシャルワークのクラスでも持ち出し、少しわかったことがある。

 

あらゆる状況でいずれかを選択しなければいけない場合、 どちらが本当に本人にとって幸せなのかは結局わからない。

本当はわからないんだけど、 どうにかしてでもわかろうとしてもがく。

これも当たり前のことなのかもしれない。

そして結局誰か個人の信じるものがあるからこそ やっと選択ができるのではないか。 どこかでわりきらなければいけないのだろう。

 

そう考えたときに、

自分の持つたくさんの考えをふるいにかけて、

さいごに残るのがやはり

 

共に生きるためにはお互いに尊重し合うことが必要である。

そのためには理解することが必要である。

(完全に受け入れるのではなく、あくまで理解)

理解するためにはなにかそれを身近に感じたり、考えるきっかけが必要である。

 

というもの。

人によってそれぞれに信じるものを持っている。

これは、自分にとって心から信じられるもの。

 

どちらがその人にとって幸せだったのか わからず悩みもがきながら、

それでもなにかひとつでも信じるものを持って生きていくしかないのではないかなと思う。

みんなが同じ考えを持つことはあり得ないし相手の考えを根本的に変えることなんてできない。

信じるもののぶつかり合い、かかわり合いだよね。

 

自分はVictorを森から連れ出してきた人たちとは違う!と思いたくても その人たちも、

安全な場所で、ご飯も食べられて、人と一緒に生活をして、他人とコミュニケーションもとれる、そんな生活の方が幸せだろうという信じるものがあったのかもしれない。 信じるものを信じた結果であるなら私のしたいことと同じことか、と思う。

改めて友達の質問に答えてみたい。

 

Q.バイアス(先入観、偏見)をなくした状態で生きることが その人にとって本当に幸せだとどうやってわかるのか。

 

A. わかりません。どうやっても私にはわかりません。 バイアスをすべてなくすことは不可能であると知っていますが、バイアスを持っていることに気付くことが互いに尊重し合い生きていくことの一歩目だということを信じて私は働きかけをしていきたいです。エゴ、だと思います。 

 

今の段階ではこんな回答しかできません。

わからない、わからないけど信じているからする って答えは

たとえば教育者になったときに果たしてしていいものなのかと悩み

最初はわからない以外の答えを探していましたが見つかりませんでした。

みなさんの回答や考えもぜひお聞きしたいです

偏見などに関係していなくても結構です!

 

ここまで読んでくれた方、長らくお付き合いありがとうございます。

ニューヨークの道ばたで。

住んでいるところの近所の道を歩いてると、
小さい男の子がのってるベビーカーを押したお母さんに話しかけられた。
お腹に赤ちゃんもいて歩くのも大変そう。
この子のオムツも必要で、 食べるものも必要。
助けてほしい。 本当ににごめんなさい。
そう言って本当に申し訳なさそうな顔をして何度も謝る。
 

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こっちに来てから 何度もお金を人に求めている人たちを見たし、
それをビジネスとしてやってる人だっているっていうのも知っていたし、
そのお母さんを疑う気持ちがないわけじゃなかったけど、
その小さい男の子が私に向けるまっすぐな目を見たら、
つい「私に何かできることある?」 って言ってしまった。
 
そのお母さんたちと一緒にスーパーに行って買い物をすることになった。
 
女性:どこから来たの?
私:日本から来たよ。
女性:日本はどんな感じ?
私:日本も物は高いけど、 やっぱりニューヨークはいろいろなものがすっごく高いよ。
女性:ニューヨークは全部が高すぎる。
あなたが始めて助けてくれた人。 本当にありがとう。
みんな大きい声で罵ったり、批判したり。
ニューヨークに住んでいる人は冷たい人が多い。
 

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歩きながらこんなことを話した。
スーパーに入って、 そのお母さん、
悩みながら アボカドとかトマトとかをかごに入れて、
もうこれくらいで終わりだからって私に言って、
その後お肉コーナーに足を進めた。 ちょっとやな予感がして、
高い肉はやめてね、安いのにしてね、 って祈ってたら
さっと$10の肉のパック二つをカゴに入れようとして、
これはちょっと払えないと思って
 
ぜんぶ払えるかどうかはわからないよ。
正直今自分もクレジットカードのトラブルもあって これは友達に借りたお金で、
お金に困ってて、 少しなら払えるけど… って言ったら、
 
募金だと思って。
私もいつかそういうかたちで返すからって。
 
それでもできないって言い続けたら、
じゃあこれここに置いて行くって 野菜とか入れたかごをそこに置いて
お店の出口まで向かって歩いて行って、
なんかやけにあっさりしてるなあと思って
出口の手前で 何も買わなくていいの? って聞いたら、 いいの って言う。
そして出口を出て、 振り向いたお母さんがまた申し訳なさそうな顔をして、
お願い、 募金だと思って助けてほしい。
$4でも$5でもいいから
ってまたお願いされた。
$3でもいい?って聞いて、 そのときお財布に入ってた紙幣の$3を渡した。
本当にありがとう って、お母さんに言われた。
大丈夫って言ってうしろを振り向かないでその場を去った。
その後何事もなかったかのような顔でお母さんはスタスタと歩いて行ったかもしれない。
前にニューヨークの空港で私がお金を渡したボロボロの服を着た男の人のように。
どうだったかはわからないけど、それを見たいという気持ちにはならなかった。
 
複雑な気持ちだった。
あげたお金は$3だけど、 自分の中ではお金をあげるかあげないかにとても大きな意味があった。
このやり方がその女性のお金を稼ぐ方法なのかもしれない。
わざわざスーパーの外に出てからお金が欲しいって頼んだのも、
お店の中にいる人に見られないようにするため。
いつもやっていることを誰かにばれないようにするためかもしれない。
でも本当にお金に困っていなかったら、 こんなことはしていないのではないか、 とも思った。
後でいろんな人にこの話をした。
ベビーカーを押したお母さん2人組に同じように声をかけられた人もいた。
 
みんなの言っていたこと。
 
その行動をとったことで、 日本人なら簡単にお金をくれるってなめられて、
ほかの日本人に迷惑をかけるかもしれないよ。
 
そのお金でドラッグを買うかもしれないから
渡さない方がその人(ドラッグ中毒になっている人)のためにもいいんだよ。
ぜんぶその通りだと思った。 ただお金を渡すだけ、じゃすまない。
とっても責任の重いことなんだって思った。
そのお金が本人のものになるかもわからない。
 
道端でお金を渡す直接的な方法ではない、 自分に何かできる方法はきっと他にもいろいろあって、
そっちに目を向ける方がいいのかもしれない。
ただ、自分の中でまだそうかってストンと落ちてこないのは、
こうするべきだってはっきり言えるような知識も経験もまだまだないからなんだろうと思う。
 
私は日本で、札幌で暮らしていて、
ニューヨークでは毎日のようだった、 困ってる、お金が欲しい、お願い、 って人に言われるような
こういう経験を一度もしたことがなかった。
地域や、もちろんタイミングによって起こりうることだと思う。
でももっと頻繁に起こったっておかしくないことなのかもしれない。
 
助けてくれって大声で叫べる環境と、
叫べない(もしくは叫ぶことを許されない)環境。
社会に存在する問題がはっきりと目に見える環境と、
見えづらい(もしくは見て見ぬふりをされている)環境。
 
どっちがいい、悪いじゃないし、
どっちかがより深刻で、どっちかがそうじゃない、 とは言えない。
でも日本についても考えるといろいろと思うことがあるなあと思った。
 
新たなトピックになってしまいそうなので
つづきはまた今度。

 

 

 

 

みんなちがって、みんないい。

いつからだろう。

違い”を受け入れないような、

そんな雰囲気の文化に疑問を感じるようになったのは。

今振り返ってみると、 大学生になる前までは、

あらゆることを何も疑わずに生きてきていた気がする。

これはこうだよね。

だって家族がそう言っているから。

先生がそう言っているから。

テレビがそう言っているから。

みんながそう思っているから。

そんなことだらけだったような気がする。

それで何不自由なく生きていた。

大学生になって、 異文化コミュニケーションの授業を受けて、

自分がそれまでいかに自分のかけている狭い眼鏡のフレームから

世界を見ていたかに気付いたとき、

頭の中にそれまで積み上がっていたものが

すべてひっくり返されるような、 そんな感覚を味わった。

 

 

宮城に被災地支援として派遣されたボランティア活動のとき、

いろんな人に出会い、

いろんな価値観に出会い、

すべてのものごとにおいて、

いいところとだめなところが両方あって、

正解も間違いもないのだと気付かされた。

きっとこんな、人や価値観との出会いを重ねていくうちに、

自分の持つフレームが広がっていって、

“違い”が面白くなって、 どんどん “違い”を発見したくなった。

そして、じゃあなんでその違いが生まれたんだろうって、

それを考えるのがいちばん面白いことに気付いた。

 

 

ある特定の枠の中では

あれだけが違う、 あの人だけが違う、

これが “ふつう”、 みたいに、

大多数と少数のカテゴリーに分けられるようなことが多いような気がする。

そしてその少数のなにかが間違っているかのように見られることも多い。

暗黙の了解でそれが排除されることだってある。

いつからかそれに心の底から憤りを感じるようになった。

じゃあなにか自分自身が排除されたように強く感じる経験があるかっていうと、そうではない。

だけど、このことを考えると、言葉にはし難い、

もやもやとした、どうしようもない感情が溢れ出る。

個性を大事にしようと声高に叫ぶこの社会で作り上げられている、

その社会から求められる、 限られた範囲内の個性。

少しでもそれがサンプルと異なっていると、

それはもう枠の外のなにかであって、

ありのまま、それ自体で存在することが難しくなる。

 

みんなちがって、みんないい

金子みすずさんが詩の中でうたっていた。

小学生のとき国語で習った詩にでてきたこのフレーズは、

最近になってわたしのなかでどんどんと重みを増してきたような気がする。

どうして学校でこの詩が教えられるのか、

そこに必ず意味はあるのに、

みんな同じがなるべくいい”というような社会の雰囲気との 矛盾を感じざるを得ない。

 

アメリカ、特にニューヨークに来て思ったこと。

ここにいると、あまりにもはっきりとした “違い”が多すぎて細かいことを気にしていられない。

地下鉄に乗っていても、 隣の人は中国語でしゃべっているし、

そのまた隣の人はスペイン語

またまたその隣の人はフランス語、

前にいる人は…これは何の言語? といったような感じで

身の回りに多様性があふれている。

外見もみんな違う。

ファッションもみんな違う。

宗教も考え方もみんな違う。

こんな場所ではお互いにお互いのものを尊敬し合わないとやっていけないのだと実感する。

それが共に生きるための手段なのだと思う。

 

日本ではどうだろう。 いわゆる"グローバル化"は進んでいるとはいえ

やはりまだまだ日本で生まれ日本で育っている人が多数を占めているのが現状。

 

そういった“違い”に慣れるにはまだ時間がかかるのかもしれない。

しかし、考えてみれば すでに日本にだって様々な意味での多様性があふれている。

世代の違いだって、

ジェンダーだって、

経済面での貧困層、中間層、富裕層などの違いだってそう。

目に見える障がいを持っていたり、

目に見えない障がいを持っていたり。

みんなそれぞれに異なるバックグラウンドを持っている。

その身近な多様性に気付くことで、

見方が変わる、考え方が変わるのではないか。

少なくともわたしはそうだったように思う。

生まれた、育った国の違い、宗教の違いだけじゃない、

ダイバーシティはわたしたちの身の回りにあふれているのだと 認識してから、

世界の見え方が変わった。

ふつうは…” ってよく語られる “ふつう”なんて、

本当は存在しないのだと思うようになった。

少しひねくれたのかもしれないが、

その “ふつう”に当てはまらない例外を いつも頭のなかで探すようになった。

自分のフレームの外にあるものを、

もっともっと見たい、知りたいと思うようになった。

違っているからこそ面白いんだよ。

あのひとはあのひとそのままで、すばらしい。

あなたはあなたそのままで、すばらしいんだよ。

ってありきたりな言葉に聞こえるかもしれない。

でもなかなかこれに本当に自分で気付くって難しかったりする。

人に気付かせるのも難しいかもしれない。

でも、これに気付く少しのきっかけをつくることはできるんじゃないか、

いまはそのきっかけをどうつくろうか、 方法をさがしているところ。

まだまだ知らないことだらけで考えも甘くて、

道のりは長いけど、一生かけて何かできたら良いな って、

それがいまのいちばんの夢。

 

 

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