Kana's notes

留学のこと、日々のこと、旅のこと、なんかふと思ったこととかをたまに書きたい。

バイアス(先入観、偏見)と幸せ。

 

森の中で生活しており,

1797年頃に南フランスで見つかったVictorという男の子のお話、知ってますか?

 

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Victorは見つかったとき12歳頃だったとされていて、

叫び声はあげても言葉を発することはなく、

その後5、6年にわたって教育を受けるも

一生基本的な言語や一般的な社会性を獲得することはなかった。

言語学でもよく登場するVictor。

今私がとっているソーシャルワークのクラスの使っている教科書でもVictorの例が最初にとりあげられていたんだけど、そこでの観点は、

野生で生きていたVictorを彼の意志とは関係なく森から人間社会に連れてきたことは道徳的に正しいことなのだろうか、ということ。

 

 

私の一つ目のブログの投稿で、 あらゆる多様性について考える、知るきっかけ、 もしくは身近に感じる機会などをつくりたいというようなことを書いた。

その後に友達から個人メッセージでもらったコメント。

 

バイアス(先入観、偏見)をなくした状態で生きることが

その人にとって本当に幸せだとどうやってわかるのか。

 

 

たとえば、ある特定の身近にいる人びとの人種や宗教グループに偏見を持っていたとする。

そのグループとの間で何か摩擦などが起こったとしても、 本人にとっては自分たちのグループ、 もしくは自分のアイデンティティが守られていれば、 その状態でずっと生きていることがその人にとっての幸せなのかもしれない。

特定のグループを理解しようとし、接近し、偏見などがなくなったとして、

その後自分の属しているグループとそのグループの関係性に頭を悩ませるよりも、

まったく知らずにその対象と自分との間にすぱっと線を引いていたときの方が 幸せだったかもしれない。

 

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Victorについて教科書で読み、考えたとき、 友達から私のブログに対して投げかけられたこの質問を思い出した。

 

私はVictorについて、 彼が森で自由に暮らしていたときの方が幸せだったのではないか。

他の人間が勝手に連れ出し、いわゆる “人間らしさ”を持たせるような 教育を強制的に受けさせる、そんな権利が果たして他の人間にあるのだろうか。そう思った。

 

 

それは、その人がまったく知らなかった世界他者意図的に見せるということ。

しかし、それは私がしたいと思っていることと何ら変わりないのではないか、と思った。

洗脳がしたいのではない。 見たことのない、考えたことのないことに少しでも触れられるきっかけをつくれないか、そう考えていたが、

それが良いと思うのはあくまで“私”の考えである。

 

その話をソーシャルワークのクラスでも持ち出し、少しわかったことがある。

 

あらゆる状況でいずれかを選択しなければいけない場合、 どちらが本当に本人にとって幸せなのかは結局わからない。

本当はわからないんだけど、 どうにかしてでもわかろうとしてもがく。

これも当たり前のことなのかもしれない。

そして結局誰か個人の信じるものがあるからこそ やっと選択ができるのではないか。 どこかでわりきらなければいけないのだろう。

 

そう考えたときに、

自分の持つたくさんの考えをふるいにかけて、

さいごに残るのがやはり

 

共に生きるためにはお互いに尊重し合うことが必要である。

そのためには理解することが必要である。

(完全に受け入れるのではなく、あくまで理解)

理解するためにはなにかそれを身近に感じたり、考えるきっかけが必要である。

 

というもの。

人によってそれぞれに信じるものを持っている。

これは、自分にとって心から信じられるもの。

 

どちらがその人にとって幸せだったのか わからず悩みもがきながら、

それでもなにかひとつでも信じるものを持って生きていくしかないのではないかなと思う。

みんなが同じ考えを持つことはあり得ないし相手の考えを根本的に変えることなんてできない。

信じるもののぶつかり合い、かかわり合いだよね。

 

自分はVictorを森から連れ出してきた人たちとは違う!と思いたくても その人たちも、

安全な場所で、ご飯も食べられて、人と一緒に生活をして、他人とコミュニケーションもとれる、そんな生活の方が幸せだろうという信じるものがあったのかもしれない。 信じるものを信じた結果であるなら私のしたいことと同じことか、と思う。

改めて友達の質問に答えてみたい。

 

Q.バイアス(先入観、偏見)をなくした状態で生きることが その人にとって本当に幸せだとどうやってわかるのか。

 

A. わかりません。どうやっても私にはわかりません。 バイアスをすべてなくすことは不可能であると知っていますが、バイアスを持っていることに気付くことが互いに尊重し合い生きていくことの一歩目だということを信じて私は働きかけをしていきたいです。エゴ、だと思います。 

 

今の段階ではこんな回答しかできません。

わからない、わからないけど信じているからする って答えは

たとえば教育者になったときに果たしてしていいものなのかと悩み

最初はわからない以外の答えを探していましたが見つかりませんでした。

みなさんの回答や考えもぜひお聞きしたいです

偏見などに関係していなくても結構です!

 

ここまで読んでくれた方、長らくお付き合いありがとうございます。